4月20-21日
ルワンダ虐殺(ジェノサイド)を皆さんご存知でしょうか?
1994年にルワンダで多数派のフツ族によって少数派のツチ族が大虐殺されました。
正確な犠牲者数は明らかになっていませんが、
100日間で50万人から100万人が殺害されたと言われており、
これは当時のルワンダの人口の10〜20%にあたります。
これだけ聞くとフツ族がただ冷酷で無慈悲な民族に感じるかもしれませんが、
もう少し歴史を知る必要があります。
ツチ族とフツ族はもともと同一の由来を持ちその境界は曖昧でしたが、
宗主国のベルギーがそれらを区別し、
1930年台にIDカードが発行されます。
(このIDカードは後に起きる虐殺の際に出身民族の指標にもなった。)
さらに人類学に基づいて少数派のツチ族の方が多数派のフツ族より優れた民族とみなされ、
労役、税、教育など様々な面で優遇されました。
しかし第二次世界大戦後にアフリカ各国の独立機運が高まると、
国際的な流れを受けて宗主国ベルギーが今度は多数派のフツ族を支持するようになります。
このような背景で民族対立が進み、
1994年にフツ系大統領が何者かに暗殺されたことで、
(参考:Wikipedia )
このように民族対立は宗主国ベルギーによってもたらされたと言っても過言ではありません。
首都キガリにある虐殺記念館
この悲しい出来事を決して忘れないように、二度と繰り返さないようにと、
虐殺に関する様々な資料が無料で公開されています。
内部は撮影していませんが、言葉を失ってしまう光景の連続でした。
首都キガリからバスを乗り継いで約3時間のところにある
ムランビ虐殺記念館にも行ってきました。
ルワンダ虐殺は政府、軍、市長、町長、警察などが関与して非常に組織的に行われました。
ルワンダ虐殺当時のカンパンダ首相が「ジェノサイドに関しては閣議で公然と議論されていた。」と証言しており、閣僚の1人は「全てのツチをルワンダから追放することを支持する。」と発言していたことも明らかになっています。
この記念館は小高い丘の上にあり、当時は建設中の学校でした。
市長や教会の司教がツチ族に対し、あそこに行けばフランス軍の保護が受けられる、と虚偽の情報を流し、
逃げ集まったツチ族およそ6万5千人が1日で殺害されました。
逃げ道のない丘の上にあえてツチ族を集めたらしいです。
このムランビ虐殺記念館には大量の人骨が残されています。
衝撃的な光景でした。
2つの虐殺記念館を訪れて、上手く言葉にできませんが、
たった25年前の出来事、
本当に考えさせられる場所でした。
最後に、ルワンダを実際に訪れて感じたことは、
ルワンダの人々はとても穏やかで優しくて、
決して残酷な人たちではないということ。
アフリカ縦断旅行者の多くはルワンダを訪れませんが、
もっと多くの人が足を運ぶことを望みます。