9月11-13日
前回の記事で紹介したブルガリアを
最後に東欧の旅は終了。
次に訪れた国は、
キルギス!
旅していきます!
ビシュケク空港から市内へは
380番のマルシュルートカで移動できます。
所要は約40分、運賃は40ソム(≒60円)
道路は東西と南北へ碁盤の目状に
走っています。
地下鉄や路面電車は通っておらず
市内移動はマルシュルートカを利用します。
運賃は10ソム(≒15円)
ビシュケクのマルシュルートカの路線は
非常に複雑ですが、
「2GIS」というアプリを使えば
簡単に乗りこなせますよ。
ビシュケクの街はとても緑が豊か
キルギス人の大多数は
アジア系の容姿をしています。
(ロシア系の人々も少数います。)
そのため日本人が街を歩いていても
あまり珍しがられません。
なんなら現地語で思いっきり
話しかけられます(笑)
コンサートホール前に建つ
マナス王像
アラ・トー広場
ここにもマナス王像
奥の建物は国立歴史博物館
ビシュケクには「ショロ」という
ドリンク屋台が多くあります。
これはクヴァス(KBAC)という
麦から作られる微炭酸飲料。
意外と美味しく飲めました。
1杯12ソム(≒18円)
ビシュケク市民の台所である
オシュ・バザール
かなり大規模な市場。
食料品、衣料品、日用品など
様々なものが売られています。
見ているだけで楽しい。
中央アジア名物の「ノン」
味は普通(笑)
街にはモスクがいくつもあります。
ここからはキルギスの食事情を紹介。
キルギス料理は
めちゃくちゃ美味しいです!
これはラグマンと言って
中央アジア版の焼うどん。
とても美味しい。
炊き込みご飯プロフ(パロー)
日本人の口に合わない訳がない。
中央アジア風の肉饅頭
マンティ(マントゥ)
中にはスープも閉じ込められていて
小籠包みたいな料理です。
おすすめのレストラン「ファイーザ」
ここで食べるキルギス料理が個人的には
1番美味しかったです。
キルギス人にも有名らしくて
いつ行っても賑わってました。
この店には写真付きメニューがあるのも
有難い。
しかも1品200-300円程度のものが
ほとんどでコスパも抜群!
ビシュケク滞在中は
胃も心も満たされてました。
やっぱり食事って大事ですね!
この先の中央アジアの国々も
楽しみです。
9月9-10日
東欧の旅もいよいよ終盤。
次に向かったのは、
ブルガリアの首都ソフィア!
この2都市間の移動は
バックパッカーの味方である
FlixBusが運行しているので便利です。
ソフィアの
中央バスステーションに到着。
途中の休憩を含めて所要は7時間、
料金は約2400円でした。
ソフィアの街並み
街はあまり大きくありません。
特に見どころは中心部に集中しており
徒歩で回れます。
歩行者天国のヴィトシャ通り
旧共産党本部
聖ネデリャ教会
セントラル・ハリ(中央市場)
あまり活気はありません(笑)
アレクサンダル・ネフスキー寺院
オスマン朝時代の1566年に建立された
イスラム寺院「バーニャ・バシ・ジャーミヤ 」
ソフィアの街はその立地ゆえ
ロシア正教系の教会や
イスラム教系のモスクが混在しています。
食事もトルコからの影響を受けており
これまでの東欧諸国と比べると
ケバブ屋の数が一気に増えます。
肉がずっしり入っていて1個 3レフ(≒180円)
こちらはスーパーで買ったキョフテ
1個0.8レフ(≒50円)
トルコ料理はやはり美味い。
事前情報通り
ソフィア市内は見どころが少なく、
市内観光はすぐに
終了してしまいました(笑)
最後にソフィアの安宿情報
ソフィアでは「ホステル・モステル」に
宿泊していました。
施設内は十分に清潔で
ドミトリーは各ベッドにカーテン付き。
世界中の若者たちで賑わう共用スペース
今回利用したのは8人部屋ドミトリー。
朝食・夕食付きプランで
1泊16.2レフ(≒1000円)!
東欧は本当に宿泊施設の
コスパが抜群です!
以上、ソフィア旅行記でした。
9月6-8日
モルドバのキシナウから更に南下し
次に訪れたのは、
ブカレストはパリを模して作られた街であり、
「東欧のパリ」「小パリ」とも呼ばれます。
パリっぽいオープンテラスのレストラン
お洒落なパン屋もあります。
凱旋門もあります。
これまでの東欧諸国の街並みとは異なり
ルーマニアでは
一気に共産圏の雰囲気が薄れました。
それもそのはずでルーマニアは
東側諸国の中ではいち早くソ連と距離を置き
西側諸国に接近した国家です。
なおルーマニアは2007年に
(※ユーロ導入やシェンゲン協定加盟はまだ)
ブカレストは人口約200万人の大都市であり
市内の見どころを全て徒歩で回るのは大変。
移動は地下鉄が便利です。
運賃は2回券で5レイ(≒125円)
(なぜか1回券はない。)
車両は西欧風だし、
プラスチックコインではなく紙製。
またブカレストの地下鉄は
以前はスリが非常に多かったらしいですが、
警備の強化などで現在は大幅に
改善されているようです。
路面電車も走っています。
この巨大な建物は「国民の館」
「国民の」とは名ばかりで実際は
かつての独裁者チャウシェスク元大統領が
自身と家族のために贅を尽くした宮殿です。
因みにチャウシェスク元大統領は
1989年のルーマニア革命で失脚し
同年に公開処刑されています。
長年の独裁に対する国民の怒りは
相当なものだったようです。
「国民の館」は現在では国際会議や
コンサートなどの会場として利用されており、
ツアーに参加すれば
内部を見学することもできます。
ツアーは予約しておく方が確実ですが
この日は当日現地で申し込みできました。
代金は40レイ(≒1000円)
馬鹿でかいカーペット
両側には高級そうな絵画や骨董品
こんな部屋が無数にあります。
レッドカーペット
いちいちシャンデリアが凄い。
国民が貧困に苦しむ中で
これだけ私欲を満たしていたら
そら革命も起こされるわな。
大都市ブカレストですが
あまり見どころは多くないので
長居せずに次の目的地へ移動します。
まだ東欧の旅が続きますよ。
9月5日
この日はモルドバのキシナウから
日帰りで近郊へ出掛けます。
行き先は、
大抵の人にはモルドバ以上に
馴染みのない地名ですよね。
それもそのはずで沿ドニエストル共和国は
いわゆる未承認国家です。
モルドバの民族構成は
約8割がモルドバ人ですが、
旧ソ連の構成国家であったため
ロシア系住民も少しいます。
(Wikipediaより引用)
1990年にそのロシア系住民たちが
として独立を宣言。
当然モルドバは容認する訳はなく
1992年5月にトランスニストリア戦争へと発展。
同年7月に和平協定が結ばれ停戦中ですが
同地域はロシア系住民による
実効支配が続いています。
これだけ聞くとなんだか危険な場所に
感じられるかもしれませんが、
現在は特に問題なく
観光することができます。
キシナウの中央バスターミナルから
沿ドニエストル共和国の首都ティラスポリ行きの
マルシュルートカが出ています。
所要は約2時間。
運賃は36.5レイ(≒220円)でした。
国家として認めていないため
モルドバ側で出国審査はありませんが、
沿ドニエストル側ではきちんと
入国審査があります。
マルシュルートカはティラスポリ駅に到着。
ティラスポリに着いたらまずは両替。
というのも沿ドニエストル共和国は
未承認国家ですが
独自通貨まで発行しています。
写真に写っているのはカナダ人のLouis。
同じマルシュに乗っていて
そのまま一緒に観光することに。
ティラスポリにはちゃっかり
観光案内所も作られています。
ティラスポリのメインストリート
沿ドニエストル共和国の国旗と
ロシアの国旗。
ここの住民たちの夢は
ロシアに編入すること。
しかしながら沿ドニエストル共和国は
国連だけでなく
ロシアにも国家として承認されていません。
観光客は全然いません。
だいぶキリル文字が読めるようになった。
ソ連らしいバスが今でも走っています。
あちこちに沿ドニエストル国旗
沿ドニエストルを国家として
承認している国々の国旗
はい、どれも未承認国家ですね(笑)
レーニン像
トランスニストリア戦争のもの?
これが国名の由来となっている
ここにもレーニン
沿ドニエストルの一大酒造会社KVINT
コニャックやワインが売られています。
ちゃんとレストランもあります。
物価はモルドバより高め。
特にこれといった見どころがあるわけではない
未承認国家の沿ドニエストル共和国。
しかし独自通貨まで発行して実効支配している
場所を実際に見ることができたのは
非常に興味深かったです。
東欧の旅はまだまだ続きます。
9月4日
あまりやる事のなかった
次に訪れた国は、
モルドバ!
日本人にはあまり馴染みのない国かと
思いますが、
東欧の小国です。
モルドバの首都キシナウへは
バスで移動できます。
所要約5時間で
キシナウの北バスターミナルに到着。
バスターミナルの両替屋で現地通貨を入手。
モルドバの通貨はレイ(1レイ≒6.3円)
どの紙幣も色違いなだけで
デザインは全て同じ(笑)
モルドバはヨーロッパ最貧国とも呼ばれ
このレイは極めて不人気な通貨。
周辺国ですら再両替できないので
レイの入手は最小限に留めます。
北バスターミナルから9番の市バスで
市内中心部へ行けます。
予想外に新しい車体のバス。
運賃は2レイ(≒13円)
キシナウでは泊まった宿は
日本人バックパッカー御用達の
アメージング・イオニカ・ホステル
イタリア人オーナーのルーベンスが
とても親切です。
キシナウは首都と言えど規模は小さいため
主な見どころは歩いて回れます。
と言うかあまり見どころはありませんが
一応紹介しておきます。
メインストリートの
シュテファン・チェル・マレ大通り
路上でフルーツや野菜を売っている人を
よく見かけます。
勝利の門
キシナウ大聖堂
勝利の門と大聖堂の周辺は
市民の憩いの場となっています。
続いてやってきたのは市場
やたらとスイカが売られています。
1つ6レイ程度(≒38円)
夕方はホステルの近くの公園へ。
ここの階段の方が長いらしい。
夕焼けが良い雰囲気でした。
ヨーロッパ最貧国とは呼ばれますが
意外とお洒落なカフェやレストランが多い。
ビールはスーパーで買えば8レイ(≒50円)
物価は激安です!
キシナウ観光は事前情報通り
1日で十分だったので、
翌日は前々から気になっていた場所へ
キシナウから日帰りで出掛けます。
9月2-3日
首都キエフの次に向かったのは、
ウクライナ南部の
寝台列車が便利。
所要は約9時間。
チケットはウクライナ鉄道のHPから
オンライン購入できます。
2人1コンパートメントの1等を購入するも、
空いていたため相部屋となる乗客はおらず
自分だけの個室になりました。
ラッキー。
隣のコンパートメントから何度も
お菓子のお裾分けに来てくれたチビっ子。
オデッサ駅に到着。
オデッサ駅は中心部から少し南に
離れています。
オデッサには地下鉄は通っておらず
レトロな路面電車が市民の足。
これで市内中心部まで移動。
運賃は5フリブニャ(≒22円)
オデッサの街はそこまで大きくないので
中心部の見どころは徒歩で見て回れます。
歩行者天国のデリバスィフスカ通り
オープンテラスのカフェやレストランが
立ち並んでいます。
オデッサはその美しい街並みから
黒海の真珠とも呼ばれます。
カフェでテイクアウトした巨大なピザ
1枚で28フリブニャ(≒115円)
フリブニャ下落の影響でやはり安い。
オデッサ随一の見どころとされている
ポチョムキンの階段
んー、ただの長い階段というだけで
特に感動はありません(笑)
奥に見えるオデッサ港にも行ってみます。
オデッサ港
変哲のないただの港ですね(笑)
黒海の真珠と形容されるように
確かに中心部の街並みは美しいですが
あまり見どころはないので
2日間の滞在だけでも十分でした。
最後にオデッサの安宿情報。
(2枚目の写真はBooking.comより引用)
オデッサではHipstelというホステルに
宿泊しました。
市内中心部にあり
デリバスィフスカ通りへは徒歩圏内で、
路面電車の乗り場も近く、
ロケーション抜群。
ドミトリーは各ベッドにカーテン付きで
1泊200フリブニャ(≒890円)。
東欧は宿泊費が安くていいですね。
WiFiもストレスなく使えました。
節約型のバックパッカーには
おすすめです。
まだまだ東欧の旅が続きます。
8月30日-9月1日
ベラルーシでの興味深い日々を終え
次に向かったのは、
寝台列車が運行しており
それを利用したかったのですが、
前回の記事でも述べたように
ベラルーシへのビザなし入国の条件の1つに
ミンスク国際空港から入出国することが
あるため、
残念ながら飛行機で移動しました。
キエフ・ボルィースピリ空港(KBP)に到着。
市内へは322番の空港バス(Sky Bus)で
移動できます。
バスは所要60分程でキエフ中央駅に到着。
運賃は100フリヴニャ(≒430円)
ここからはキエフ市内の様子を紹介。
キエフの中心部である独立広場(マイダン)
シェフチェンコ公園
聖ミハイル聖堂
アンドレイ教会
キエフ市内の移動は地下鉄が便利。
ミンスクと同様に
プラスチックコインが切符代わり。
運賃は距離に関係なく8フリヴニャ(≒34円)
2014年のクリミア危機の影響で
大幅に下落しているので、
旅行者にとっては全てが安上がりになります。
レストランでランチを腹一杯食べても
300-400円くらい。
キエフの夜の街並み
見どころはあまり多くありません。
しかし、キエフを拠点に
必ず行きたかった場所があります。
それは、
誰しもがその名前を聞いたことがあると
思いますが、
1986年に史上最悪の原発事故が
起きた町で、
なっています。
原発事故後に住民は退避し
ほぼゴーストタウンとなった
チェルノブイリですが、
(※一部の住民は退避を拒否した。)
現在は放射線量が低下したこともあり
観光客でも訪問できます!
日帰りツアーに参加してきたので
ここからはその様子を紹介します。
チェルノブイリを訪れるには
ツアー参加が必須。
催行する旅行社は沢山ありますが、
大抵はこのようなミニバンに乗り
小グループで行動します。
約135kmの距離。
ここから先が立ち入り制限区域。
セキュリティチェックがあり
パスポート必携です。
最初に立ち寄ったレーダー塔。
レーダー塔を見学した後は
更に中心部へ向かいます。
左奥に見えている銀色の建物が
事故が起きた4号炉。
4号炉の前。
原発事故後に4号炉は石棺と呼ばれる
コンクリートの建造物で封じ込まれ、
現在は更に銀色のシェルターで
石棺ごと覆われています。
言うまでもなくシェルターの中には
入れません。
続いてはゴーストタウンとなった
町を訪問。
原発事故前の人口は10万人以上だったらしい。
スーパーマーケット
幼稚園
遊園地
小学校
競技場
事故前の町の写真と見比べることで
原発事故の悲惨さを一層感じます。
ツアーでは線量計を使って所々で
放射線量を測定するのですが、
事故後30年以上経った今でも
高い線量を示す場所が沢山あります。
福島での原発事故以降、日本でも
原発を巡る議論が多くなされています。
簡単な議題ではありませんが、
一人ひとりが他人事ではなく
どう進むべきかを考える必要があると
思います。
そして
日本から近くはないウクライナですが
もし訪れる機会があれば
是非チェルノブイリにも足を運び
何かを感じて欲しいと思います。
旅行記でした。